カウンセラーの田中です!今日は私のアメリカ語学留学、大学留学、ハワイでのインターンシップやマチュピチュ旅行の経験などを紹介します^^
私は山口県の下関出身。小学生から高校を卒業するまではずっと野球で育ちました。
じつは1つ上の先輩である三輪正義さんが現在もヤクルトスワローズでプレーしてます。
また、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんと中学、高校が同じです。だいぶ後輩ですが。笑
高校卒業後は、下関にある造船所で4年間ほど船の溶接工をしていたのですが、その会社の営業部門が英語を学ぶきっかけになりました。
営業はヨーロッパへ行ってオーナーと英語で交渉することが仕事だからです。私は直に駅前にあるイーオン(AEON)へ通い始めました。
イーオンのクラスメイトが留学について話していたことをきっかけに仕事を辞めて大学留学を目指すことにしました。
仕事を辞めて留学しようと思った理由はいくつかあります。
・広い世界を知りたかった。
・英語を使って仕事ができるようになりたかった。
・環境を変えて、自分を大きく成長させたかった。
アメリカの大学へ入学するには、大学が決めたTOEFLやIELTSのスコアを取得する必要があります。大学入学前にはサンフランシスコの語学学校で4ヶ月間学び、その後Foothill Collegeというサンフランシスコの下に位置する大学へ入学しました。
サンフランシスコ滞在中は、全く英語が話せずホストマザーが話している内容も理解できませんでした。スターバックスで注文を取ることもできないことが悔しくて必死に勉強を続けました。
しかし、サンフランシスコは勉強ばかりしていると、外へでて遊びなさい!と遊び心をとてもに大切にする文化があります。ですので英語の勉強だけでなく、ゲイパレードやラブフェス、ピローファイト(枕で叩き合うイベント)など様々なイベントにも積極的に参加しました。
留学は英語の勉強はもちろんですが、遊びも勉強です。その国や街の文化を知るには、地元のイベントに参加して地元の人と交流をすることが一番。そんな経験が留学生の人生観を大きく変えてくれるのです。
人種の坩堝(るつぼ)と言われるサンフランシスコでは、数百の人種が共存しています。日本の常識が通じないどころか、あまり常識という概念が重要視されていないことに気がつきました。
宗教や移民も多いサンフランシスコでは、それぞれが異なる常識を持っており、自分と違う価値観を受入れて理解することが多様性のある世界で生活するには大切なことだと解ったのです。
大学では、語学学校で自信のついた私の英語が全く通用しませんでした。教授やアメリカ人の生徒は皆話すスピードが早く、当然のように専門用語を使ってきます。
授業後は課題の内容すら理解できず、教授に何度も課題の内容を確認する、そんな状態でした。専門書を100ページ読んでくる、論文を5ページ書いてくるなど、翌週までに終わらせる必要がありました。
そんなクラスを1学期で4教科以上取るのですから、大学留学時代は週に何度も徹夜していました。涙 平均点が一定の評価以下になると退学になってしまうので、それはもう必死です。笑
語学学校までは"英語を"勉強していましたが、当然ですが大学では"英語で"何かを勉強するのでその差は大きかったです。
クラスでは、リスニング力、ライティング力、リーディング力は上がりましたが、スピーキング力はあまり伸びませんでした。何も話さずに終わる科目も沢山あるからです。
基本的にスピーキングはクラス以外の時間に伸びました。クラスメイトと宿題をしている時間や、ランチをしている時間、教授と話している時間、シェアハウスのルームメイトと将来について語ったり、気になる子にアプローチしたり、スピーキングはそこで伸びたと思います。
アメリカの大学で日本との教育方法の違いに驚かされました。基本的に日本のテストは暗記回答ですが、アメリカはテスト中に教科書を開いても良いんです。答えを自分で導きだす、考えさせることを重要視していました。
日本:
Q:奴隷解放宣言をしたアメリカの大統領は誰ですか?
A:リンカーン
アメリカ:
Q:リンカーン大統領は奴隷解放宣言をしましたが、あなたが大統領ならどうしましたか?
A:自分の答えを述べる。
在学中には夏休みを利用して、中南米へ1人旅にも行きました。
1人で旅をしている間は、宿泊先のユースホテルなどで出会った旅人と語り合い、目的地が一緒であれば行動を共にすることもあるため出会いが豊富です。また、自分1人なので英語力も向上しました。
1ヶ国だけ紹介をするとペルーのマチュピチュ遺跡は感動しました。クスコという街から、電車かトレッキングの2つの方法でマチュピチュまで向かうのですが、私はトレッキングを選択。
基本的にはジャングルや絶壁を2日間歩き続けるのですが、マチュピチュが現れたときの神秘的な美しさや感動は今でも忘れられないです。
インターンシップは当時カリフォルニアでケーキのチェーン展開をしていた玉置浩伸さんの自伝を読んで、直接アプローチをしました。ケーキ屋さんの開業を夢見ていた私には最高の環境でした。
ハワイ店でのインターンシップでしたが、玉置さんの家に住み込みでケーキ作りやオペレーション、管理や、経営に関する考えなど多くを学ばせて頂きました。玉置さんは現在弊社の役員を勤めています。
帰国後にフィリピン留学も経験しています。フィリピンでは毎日10時間以上学べ、マンツーマン授業なので英語力を短期的に伸ばすことができますし、費用も安いです。
今思えば私もサンフランシスコの語学学校ではなく、フィリピン留学で英語力を上げておけば大学でもあんなに苦労することはなかったのになと少し後悔しています。
下関の田舎で溶接工をしていた高卒の私でも、留学を経て英語を使った仕事についています。
今どんな環境にいる方も、留学したい!という気持ちさえあれば留学すべきだと心から思いますし、留学は本当に人生観を変えてくれる貴重な経験だと思います。ただ、学校選びは慎重にしましょうね!
サンフランシスコにあるカレッジへ進学。帰国後、国内IT企業(現在は東証一部上場グループ企業)にて新規事業開発を経験した後、株式会社ブルードを創業。視察国は21カ国以上、留学コンサルティングは2500名を越えるベテランコンサルタント。
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